アメリカで流行っている家系図を辿ったり、遠い親戚を見つけるサービスをメキシコの従姉妹が利用し、そこで遠い親戚で、しかも自分と同姓同名の人を見つけたと驚いていた。
私達の中にいったいどれだけの人のDNAの情報が入ってるのだろうか、そんなことを考えながら祖母の昔の写真を見ていて驚いた。祖母の若い頃と、中学生になった娘の表情がとても似ていたのだ。
大好きだった祖母の特徴が彼女のひ孫である娘の中にあるなんて。祖母は私たちファミリーを束ねるゴッドマザー的な存在の人だったが、その祖母に誰かが似ていると思ったことはなかったから意外だった。どちらかというと皆、叔母や従姉妹、私も含めて祖父に似ていることになっているからだ。
私自身はDNAという究極の個人情報をむやみに提供するのは躊躇われるが、このサービスが流行る理由は分かる。自分の中に、また自分の子供たちのなかに、いったいどんな人々の血が受け継がれているのか、その人たちはどこに暮らしたどんな人だったのかという興味。どこかに自分が懐かしく感じる土地があるかもしれないと想像するだけでわくわくする。
ただ、祖先と一口に言っても、3代遡れば8人、4代で16人、5代で32人と倍々で増えていき10代で1000人を超え、20代前だと、なんと100万人を超えてしまうのだ。当然それだけのDNA情報が全て入っているわけではないらしく、やはり直近のものが濃く反映されるのだという。
そんなことを考えながら祖母の写真に見入っている。私は、大好きだったこの祖母から何を受け継いだだろう、と。
祖母は絵本に出てくるようなイメージの「優しいおばあちゃん」ではなかった。もっと強い個性と秘めたエネルギーを持った人だった。会えば、痛いほど抱きしめてくれ、またその眼の中に入ると、存在そのものを受け止められたような、揺るぎない愛情を感じさせてくれる人だった。
そんな祖母のことをもっと知りたくて、私は20歳の時、祖母の家から地元の大学に通ったりもした。
祖母と共に思い出すのは、その低くしゃがれた声、真紅に塗られた長い爪、煙草、煙草、煙草。まさしくチェーンスモーカーで、娘達に叱られて禁煙したのは90も過ぎてからであった。
そんな祖母に付き合って、私が普段吸わないタバコを一本だけ吸うと、いつも嬉しそうにウィンクしてくれた。
私の夫は、そんな祖母を「『ラピュタ』に出てくる海賊のおばあちゃんのようだったよ」と子ども達に伝えてくれている。
貫禄と、何事も見落とさない鷹のような目。いつもジョークを言っては周りを(半ば強制的に)笑わせるユーモア。昼間はジャケットやブラウスといったエレガントな格好なのに、寝るときは可愛いパステルカラーのネグリジェに同色のスリッポンという妖精のような格好で、チョコレートとコーヒーをお供にメロドラマに一喜一憂する。
頑固なところもあり、遅刻しない、礼拝を欠かさない、悪口を言わない、お金の話をしない、といったことは徹底していた。愚痴や嘆きも決して口にすることはなく、お決まりの言葉は「神の思(おぼ)し召しの通りに」という祈りだった。息子達や孫などを次々と亡くし悲しみも多かったと思うが、その強さと明るさは、信仰の深さに比例していたのだと思う。神様への絶対的な信頼、それがあるから動じず、また全てを受け止め、感謝し、謙虚でいられたのだと。
祖母の優しさは強さだったのだと思う。
ひるがえって、私は弱く、愚痴っぽい。遅刻癖があるし、悪口は言うまいと思っていても、率直に批判してしまうことがある。家族には機嫌の悪さを露呈してしまうし、他人にはいい顔をしてしまう。残念ながら、性格は似ておらず、受け継いでもいない。
夫に言わせると〈ラテン特有の家族愛の強さ〉が私にはあるというが、祖母の愛はもう少し広かったように思う。
だから、これからでも受け継ぎたい、と思う。究極だが、〈愛すること〉と〈許すこと〉を。
いつも機嫌が良く、愛情をもって人に接することを日常的に心がけたい。
表面的な優しさでなく、強さからくる深い優しさを、私もいつか自分のものに出来ればと思う。