2020年、新型コロナウィルスの流行で世界は大きく変わった。世界中のそれぞれの場所で、そこに生きるそれぞれの人達の〈世界〉が大なり小なり変わったのだと思う。
東京という大都会の片隅に小さく住まう私という人間やその家族の人生も少し変えた。
そんなパンデミックの前夜、2019年の終わり。わたしはアメリカ西海岸の街、サンディエゴを家族で初めて訪れて、すっかり魅了されていた。
これまではボストンやニューヨーク、ワシントンなど東海岸寄りのアメリカが好きだったのだが、サンディエゴには同じカルフォルニア州でもロサンゼルスとはまた違った穏やかさと、メキシコ領だった時代を偲ばせるコロニアルな風情もあるような気がして不思議なほど居心地よく感じたのだった。
「いつか家族でこんなところに住んでみたい」
そんな大胆な発想をした自分にもびっくりした。
夢のまた夢と思いながらも「サンディエゴで暮らすには?」と想い巡らしていた矢先のパンデミック。
生活は一変した。
春先こそ、張り切ってボードゲームで遊んだり、それぞれに楽器をはじめてみたり、Netflixにハマってみたりと、それなりに工夫をして家族5人でおだやかに過ごしたものの、夫の仕事が再開し、ワンオペになった夏の終わりには、母の病も重なって、あっと言う間に心が擦り切れてしまうような疲労感を強く感じてしまっていた。
何より一番堪えたのは子ども達の生活環境のこと。
3歳と9歳の元気一杯の男子達を外でめいっぱいに遊ばせてあげられず、マンションなのでうちの中で騒げば注意せざるをを得ない日々。
13歳の娘は「家に静かな場所がない!」と嘆きつつ、オンライン授業のPCとイヤホンを手にWiFiのよく入る場所を探して家をウロウロ。子ども達を家の中でさえ、ゆっくりさせてあげられず、とても不憫に思えた。
さらに、夫婦の仕事柄、罹患した場合に公表せざるを得ない状況も追い討ちをかけた。ご近所やどこかでたまたま出会った人にまで不安な気持ちを与えてしまうのではないかと。
今思えば、もう少し割り切って気楽に過ごしてもよかったと思うのだが、〈他人に迷惑をかけたくない〉〈後ろ指を刺されまい〉と、良い子ぶるきらいがある私の性格が、この見えないウィルス以上に、見えない世間を恐れてしまっていたのだと思う。
同時に痛感したのが、普段のちょっとした外出や、家族との旅行、親戚・友人ファミリーとの集まり、そして毎日の学校、保育園、仕事・・・そういった日常のささやかな積み重ねが、どれほど心を癒やしていたか、助けられていたのかということだった。
家というもの、住まいというものがもつ意味についても改めて考えてみた。
食べて、お風呂に入って、寝て、それぞれが元気に出て行く・・・日々の生活の〈家族の充電基地〉のように思っていた〈住まい〉が、自粛生活を送るうちに〈毎日のほとんどを過ごす唯一の場所〉になっていた。
3歳から大人まで、5人それぞれのニーズに応えるには我が家のスペースは不十分に感じてしまったし、窮屈さを感じてマンションを出て歩いてみても、開放感がないことに気づいた。
そして、子どもを持ってはじめて、海にもプールにも行かずに夏が終わってしまったことを認識した時、パチン、音を立てるようにわたしの中で何かが変わった。
それほど海が好きだったわけでないわたしでさえ、家族恒例の夏を過ごせなかったことが寂しかった。プールではしゃぐ子どもの笑顔が無性に恋しくなってしまった。
初めて、「都心の暮らし」を手放してみよう、思った。
たいていの仕事場に30分もかからずに行ける都心にあり、また緑に溢れたエリアが好きで、20年もの間執着してきたこの場所を離れてみよう、と。
気がつくとわたしは「海の近くに住みたい!」と夫に告げていた。
突然の提案。
夫は「えっ、、?」と絶句。本気とは捉えなかった。
娘は「嘘でしょう。ママ、全然海似合わない!」と爆笑。
息子も「湘南のおばさんちに行っても、ママだけ海にもいかずにずっとマッサージチェアに乗ってるのにー」と大笑い。
湘南には叔母がいて、私も子どもの頃から親しみのある街だったことも大きかった。
毎回海を目にした時に感じる小さな感動。
タブレットと睨めっこしてる目が、遠くの水平線を探す時に感じる〈大いなるもの〉の存在感。ほぐされていく心。
思いを巡らせた彼方サンディエゴ、アメリカ西海岸ではないけれど、何か、同じ空気感があるのでは、と。
確かにわたしは海が似合うタイプでは全く無い。海か山かと聞かれたら断然、山。
海ならメキシコのカリブ海くらい青く澄んで白い砂浜の海がいいし、それもバケーションで十分。山に別荘を持つことはずっと考えてきたけど、海の近くに住むこと、都心から離れることを想像したことはなかった。また夫も海でなく、川での釣りを楽しむ人。
でも、今回ばかりは何故か、海、と。
そして、小さくても、一戸建てがいい。
家族が気ままに過ごせる気持ちの良い家。狭いバルコニーのチェアにいることが多い夫にも、もっと気持ちのいい居場所を作ってあげられるのではと思った。
〈都心でなければ〉という思い込みを外すだけで、ぐっと選択肢が広がったのだ。様々な可能性を思い巡らせるだけで、アイスにカラフルなトッピングするように楽しいイメージがどんどん湧いてきた。確証はないけれど、実現すれば家族の笑顔を増やせるはず、と。
ただ、家族にとっては郊外、それも東京を出るなんて青天の霹靂。
「ママの突拍子も無いアイデア」、となかなか真に受けてくれない。
夫も現実的ではない、と思っているし、私自身も半信半疑ではあった。
それでも、その可能性を探ってみたかった。
なので、冗談半分、本気半分で、建売の一戸建ての見学に家族を連れ出すことから始めた。
ママいわく、「日本のサンディエゴ」とプレゼンしつつ、湘南を家族で訪ねてみた。
マンションとは違い、家の中に階段のある一軒家。家具などがまだ置かれていない広々した家に大はしゃぎの男子たち。少し海岸に立ち寄れば、これまた大興奮であっという間に砂まみれに。
中学生になった娘は、自分の部屋になるかもしれない場所をふむふむと見て回り、海では夕景を撮っていた。「タピオカ屋はあるのかな」と近所のお店も気になるようだった。
半分冗談で見に来たものの、夫はじっくりと海を眺め、子ども達の様子を見ながら一言こう言ってくれた。
「面白いかもね」
こうして、我が家の湘南での家探しが本格的に始まった。