どうも恋愛も、結婚もなかなかうまく続かない。

 

高校の部活も、大学時代のサークルも、一応夢を叶えるつもりで始めたバンドも、

「就職するから」というつまらない理由で、結局途中で解散。

歌を歌うのも、曲をつくるのもやめてしまった。

「結構好きだったんだけどな、音楽」と試しに呟いてみたが、

心の声が「そうでもなかったかも」とささやく。

 

しょうがないかと諦めがついてしまう自分が余計に情けなけなくなった。

 

そこそこの生き方をしてきた。

何事も本気で勝負をしてこなかった反省から、

大学卒業後は仕事に就いたらバリバリやるんだと思って、

実際、がむしゃらに頑張った。

ねじり鉢巻で腕まくりをして、張り切って働いた。

張り切りすぎて不幸になったかもと思えるほど頑張ったつもりだけど、

結局というか、やはりというか、会社員人生は

12年で幕が降りた。

 

なんでこんなに続かないんだろう。

 

そんなことを考え、筆をとり始めたら、

10年続くと自負していた担当番組が突然、最終回を迎えた。

仕掛け花火のように、ラジオ番組も終わった。

「大好きだったんだけどなぁ」と、この時ばかりは空を見上げて、

しばらく風に流れる雲を眺めた。

でも、そんなに悲しくないのが、僕の悲しいところだ。

 

始まれば終わるし、終われば始められる。

神様なのか、うちの親なのか、

どこかの知らないおじさんなのかはわからないけれど、

きっと誰かが僕の心の中にサーモスタットを仕掛けておいたのだろう。

 

悲しすぎると、回路は遮断し、

一度降りてしまったレバーを上に上げれば、

何事もなかったように、また明るい日常が始まるのだ。

「人生にリセットボタンはない」とは言うけれど、

執着さえしなければリセット気分くらいは味わうことができる。

 

でも、こんな生き方もなんだか疲れてしまい、先日、友達に愚痴を言った。

 

「幸せになりたいんだけど」と喚いてみたら、

その友達は諭すような口調で

「一回、何がダメなのか一緒に考えてみましょう」と言ってくれた。

高校時代からの付き合いで、かれこれ25年来の友人だ。

高校時代は後輩で、大学で同級生になった。

 

名前は高橋という。

 

同級生になったわけだし、友人にもなったのだから

「タメ口で喋っていいよ」と何度か提案したが、

高橋は頑なに敬語を崩さない。

昔、高橋のタメ口に、まゆをしかめて

動揺していた僕の顔が忘れられないからだという。

『堀くんが「タメ口でいいよ」というから、タメ口で話たらちょっと怒ってたし・・・』と笑う

高橋との関係は、ずっと続いているから、それがとても不思議だ。

 

高橋はもう20年近く、一人の女性と付き合い、

そして結婚している。

高校時代は

「絶対結婚はしない。自分の好きなように生きていたいから。

お金だって自分の好きなものに使いたいですし」と

語っていたあの高橋が、20年結婚生活を続けている。

 

「わがままなやつー!」と当時、半笑いで語っていた僕の方が、

今となっては諭される側だ。

 

そんな高橋に、率直な気持ちで

「どうしてそんなに長続きするの?」と尋ねてみると、

 

「徹底的に話し合いをするからですよ」

 

とかえってきた。

 

「話し合い」は僕が最も苦手とするコミュニケーションだ。

何を言っても言い訳になるし、

何を聞いても責められているような気持ちになり、僕はこの話し合いが苦手で苦手でしょうがない。

 

思わず「話し合い」をさけ、

耐えればいい、新しい何かを始めればいい、と

気持ちに暗示をかけて、目を瞑ってその場を立ち去ってきた。

 

一方高橋は、高校の頃から、夢や理想を語るよりも、

実現可能な選択を提示するのが得意だったように思う。

僕や同級生たちは

「自分たちは天才だ。慶應でも東大でも早稲田でもどこでも受かる」

そう思って試験に臨んだが、結果は全員不合格だった。

 

落胆する僕らの様子をみて、

高橋は笑って「普通にやっていれば、そんなに落ちないでしょう」と言った。

 

そして翌年、

1年浪人してやっと入れた大学に、

同じく現役新入生として高橋が入ってきた。

ちょっとした笑い話のように聞こえるけれど、

 

今となっては、ひしひしと伝わってくる。

気を衒わず、ホームランを狙わず、着実に成果を上げる高橋。

いつの間にか、システムエンジニアとして会社で働き、

いつの間にか素敵な奥さんと幸せそうな家庭を築いていた。

 

そんな彼が「一緒に考えましょう」と

言ってくれたことが嬉しくもあり、僕は少し後悔もしていた。

 

25年も友達なのに、

彼にこれまで相談らしい相談を一つもしてこなかったからだ。

 

やっぱりもっと

自分の悩みに誠実に向き合うべきだったんだと。

サーモスタットを切って、リセットして、

何事もなく平穏に過ごそうとしてきたのは間違いだったのかもしれない。

 

今はそんなふうに思う。

 

普通だったら、悩むし、悲しむんでしょう。

ちゃんとやっておけばよかったと。

 

高橋には、この夏くらいまでに

二人でドライブでもしながら話を聞いてもらおうと思う。

「話し合い」の練習を高橋の胸を借りてしてみたい。

 

25年も友達だったなんて、奇跡みたいなものだ。

 

教えてもらおう。どんな発見があるのか。

どうせだったら「つづく。があるならみてみたい」から。

 

 

堀潤 Jun Hori
わたしをことばにする研究所 副所長/ジャーナリスト
1977年神戸市生まれ。0型。蟹座。人見知り。学生時代にメディアを研究、その後NHKに入局し、現在はフリーランスのジャーナリスト。「ことば」と「映像」を使った発信が専門で、ドキュメンタリー映画も制作。アフリカ、中東、アジア、欧米、世界各国を訪ね、そこを生きる人々にそれぞれの「幸せ」を聞くインタビューも。「大きな主語」よりも「小さな主語」を大切にことばを伝えている。