今号のことばを「継ぐ」にしたのは、今一番身近なところで起こっている私の頭を悩みに悩ませている問題から導かれてのことなのです。

 

高校1年生で微分積分で躓いた私は、幼少期に一番身近に感じていた将来の夢「お医者さん」をあっさり諦めた。これに特に文句を言われることもなく、のびのびと進路を決めることができたのは、ある意味、妹のおかげかもしれない。決して、プレッシャーをかけたわけではないが、我が家の場合、自然に後継者は現れた。そして今、女医となった頼もしい、しっかり者の妹が、まさに家業を承継していこうという時期にきている。

 

妹にも反抗期はそれなりにあり、今でも親とちょっとした喧嘩をすることはあるのだが、なんだかんだで互いに思いやり、笑いは絶えなかった。さらに最近は”孫”という絶対的な存在も加わって、妹家族と夕飯を囲む機会の増えた父と母、私から見てもとても風通しの良い家族であると思う。

 

ということで、すんなりと、仲良しこよしで楽しいバトンリレーが行われるものとばかり思っていたが、とんでもなかった。

 

我が家で本格的な事業承継が始まったのは昨年のこと。コロナの影響もあり、デジタル化や非接触型の方法を探ったりと、試行錯誤で取り組んできた1年。

 

実は、私も事務長?的な立ち位置で手伝うことになったのだが、何度も話し合いを繰り返しては、全てをひっくり返されてまた一からのスタート。なかなか根気がいる道のりだった。

 

 

ある日のこと、父に電子カルテの導入を検討すべきと私と妹は進言した。

 

「そんなもの必要ない。俺は、使わない。勝手にしろ!」
といつもの通り、父は新しいものに対して拒否反応を示した。

 

データも集まるし、管理も楽になる、マーケティングにも使える。患者さんのニーズにももっと応えることができる可能性だってある。
理由も言わず頭ごなしに否定されたことで、それ以上会話が進まない。何度となく訪れる冷戦状態突入だ。

 

「自分の城で指図されずに30年もいると、こうなるんだね」と私たちも冷ややかな言葉を口にする。

 

なんでこの人はこんなにも頑ななんだろう・・・諦めの気持ちが強くなっていた。

 

そんな折、『わたこと。』特集記事で「鈴懸」の中岡社長の取材をまとめていると、ふと今まで一度も父に「なんで?」「じゃあ、何が必要なの?」と否定する理由を聞いたことがないことに気がついた。

 

 

仕事では、あれだけ人の行動・思いに至る理由を尋ねる作業をしているのに・・・

 

 

「継ぐ」という作業には、その背景にある考えや思いの継承という側面もある。

思えば、母から料理を習ったときも、「作り方」とともに、「おもてなしの心」をしっかり学んでいた気がする。何度も何度も「作り方」を習う過程で、母と様々な言葉を交わし、母の想いを自然と吸収することで、家庭の味・母の味を受け継いでいたのだ。私も今では、家族を「もてなす」料理を作ることができると思う。

 

マニュアル文化、インターネット文化の中で育ってきた私たちは、分かりやすさを求めるあまり、その背景にある人の思いや、歴史に思いを馳せる余裕もなく、大切なことを見落としがちのように思う。表面的なコミュニケーションで、実用的なものだけを得ようとする。

それが今回も「継ぐ」という場面でも現れてしまった。古いやり方を新しいやり方に変える、その表面的な部分だけでやり取りをしていたのだ。

 

そして、今回もう一つの「我が家の事業承継」の壁となってしまったのが、関係の距離の近さがもたらす「勝手な憶測」。

父娘という関係の距離の近さ、また同業者という立場から「こういうことよね」と理解したつもりになり、会話をせずして答えを出してしまう。

照れ臭く思うこともあるかもしれない。でも、そこにこそ、一番伝え合わなければいけない大切なことが眠っているように思う。

 

改めて、父に電子カルテを拒む理由を聞いてみた。

 

「だって、あれは診察中に患者さんの顔が見られないだろっ」

 

確かに、電子カルテを取り入れているお医者さんは、正対して診察する時間以外は耳を傾けながらパソコンの画面と向き合って入力作業を黙々と行う人が多いと思う。父が大事にしてきたこと、技術の進化に関わらず娘に継いで欲しかったものとは、このような想いだったのかもしれない。

 

すごく納得した。胸のつかえがすっと下りた。

 

開業して30年近くで父が作り上げてきた仕事との向き合い方。何を考え、大切にしてきたのか。私たちが理解できないこだわりにも、父なりの意味があったのだ。

 

妹に伝えると、彼女も素直に受け入れられたようだ。父の思いに共感したのだと思う。その想いをしっかりと受け継ぎながら、新旧共存の方法を考えようとしているみたいだ。

 

 

「継ぐ」ということ。

 

積み重ねて作り上げられた歴史や思いを、聞いて、知って、理解して、それからそこに自分の思いも重ねて、繋げていきたい。

 

宮瀬茉祐子 Mayuko Miyase
わたしをことばにする研究所 所長/フリーアナウンサー
1982年福岡県生まれ。O型。双子座。大のいちご(あまおう)大福好き。東京暮らしが人生の半分以上を占めてきた今こそ、地元福岡の魅力を再認識したいと思っている。フジテレビ入社後、現在はフリーアナウンサー。「ことば」で素敵なモノを伝えたい、共感したい。趣味とも言える観察することから生まれる「気づき」を大切にしている。