6年前のことだ。当時住んでいたパリの小さなアパルトマンを自分たちでリノベーションすることになった。壁を取り壊して、キッチン部分の床には旅行先で見かけたようなセメントタイルを、壁にはメトロのプラットホームのようなタイルを貼ろう。ついでに、フローリングももっと明るい色の床に張り替えよう。友だちと集まって、ワイワイと騒ぎながらの工事が始まった。
パリのアパルトマンは古い建物が多く、20区という限られた土地の中に所狭しと立ち並んでいる。日本のような新築のマンションというのはごく一部の地区に限られていて、ほとんどの建物は、新しいものでも70年代。18世紀の建物に住んでいます、というのもよくある話だ。
だから、エレベーターがないなんてことも当たり前。あっても鉄格子の檻のような年代物で、軋む…なんてもんじゃない、危なっかしい音を立てる。内部に足を踏み入れた瞬間、エレベーターが自分の体重で沈むあの感覚を、どう伝えたらいいのでしょう…。
外壁の修復なんかも大変で、美しい景観を守るためには定期的に外壁工事をしなければならない。これがかなり高額で、建物内の家主たちが共同で支払うので、市役所からの「外壁の修復をしてくださいね」という御達しに、実はみんな怯えている。
それほど古い建物に住むわけだから、みんな当然のように自分の部屋をリノベーションする。そのときどきの住民が、自分に合った、時代に合ったスタイルに変えていく。
賃貸でも大家さんとの交渉次第で、壁の色を変えるといった工事をすることができる。購入したアパルトマンの場合は、もっと大規模なリノベーション工事ができる。だから、外見や共用部分は古めかしくても、部屋に入ると小洒落た空間が広がっている、なんてことも多い。
私はフランス人の家に招かれるのが大好きだ。学生用の小さなワンルームに住む人でも、自分らしさをしっかり住まいに反映させている。誰かのおうちの中に入るたびに、その人らしさが溢れていて、思わずニヤっとしてしまう。
例えば、屋根裏部屋の壁を全部ぶち抜いて、広々とした空間にリノベーションしたアンヌ。パッチワークのような色合いの家具が芸術家の彼女らしい。世界の旅先で見つけたものだったり、蚤の市を長年うろうろして手に入れた戦利品だったり…お洒落な空間作りのためにわざわざ家具やインテリア小物を揃えたというよりも、自分の人生で出会ったものたちを並べていったら自然にこうなりました、という感じだ。
さて、話を我が家のリノベーションに戻そう。
まずは、リビングと隣の部屋の間の壁を壊そうとしたが、実はもともと取り壊し可能だった壁が、下の階に住む人が耐力壁を壊してしまったせいで、耐力壁、つまり取り壊しができない壁になってしまっていることが分かった。そんな恐ろしいことも、パリではよくある話なんだそうだ。
さあ、気を取り直して、床を張り替えよう…と剥いでみた時のことだ。何と、フローリングの下にリノリウムというビニールのような床材が出てきたのだ。こんな柄物のリノリウムを床に貼る時代もあったんだねー、と盛り上がった挙句、興味津々の友人がさらにそれを剥いでみた。すると今度は、トメットと呼ばれる六角形のテラコッタのタイルが出てきた。友人たちは、これは面白い、古いテラコッタのタイルを磨いて、新しい内装に生かすべきだ!なんて言い始めた。確かにいい味を出しそうだ。
それにしても、これまでの住民たちは毎回ちゃんと工事する手間を省いて、床素材をミルフィーユ状態に重ねてきたのか…。
そんなハプニングを乗り越えながら自分たちで改装した思い出のアパルトマンだが、妊娠・出産を経て手狭になり、引っ越してしまった。今住んでいる人は、新たにその人らしさを加えたのだろうか。私が残した私らしさの一部を気に入ってくれたかもしれないし、取り除いてしまったかもしれない。
誰かから継いだもの。大きな枠を壊したら全体が揺らいでしまうから、基礎の部分は大切にする。でもやっぱり自分に合わないものは取り除いて、私らしさを加えていく。そんな作業の中で、昔誰かに取り除かれたけど、実はいいんじゃない?というものを再発見することもある。それも取り込みながら、新しいものを作り出す。そんな風に、形を変えて、誰かの人生と混ざり合って、次の人、世代に引き継がれていくのだろう。住まいだけじゃない。仕事や伝統、文化にも同じことが言えるかもしれない。
フランスでアパルトマンを購入する時にサインする分厚い売買契約書には、ここ数十年にその部屋を所有していた人の名前、職業などが詳しく書かれている。同じ空間を、時を超えて共有してきた人たちの名前だ。この人がテラコッタのタイルの上にリノリウムを敷いたのかな…。この人が、いや、それはダサいでしょ、とフローリングを貼ったのかな…。
同じ空間を共有してできた縁。見知らぬ名前を眺めながら、彼らの人生に思いを馳せる。そんな私の人生もまた、これから十年、百年先に住むであろう誰かにつながる、長い歴史の一部なのだ。
ショコラ・ド・パック